勝山の「だんじり喧嘩」を見に行きました。
10月20碑の旭川源流の碑に参加する前日、10月19日(金)勝山祭りで行われる「だんじり喧嘩」を見に行きました。
だんじり喧嘩を見て、新庄へ行き、民宿に泊まって翌日の源流の碑に新庄からの参加を計画しました。
少し出発が遅れたので、到着後の第4ラウンドの中川町(旧トマト銀行前)での喧嘩までだんじりの通過を見ながら待ちます。
寒いので、開場の目の前の酒屋は熱燗を売っていました。
だんじり喧嘩を見て、新庄へ行き、民宿に泊まって翌日の源流の碑に新庄からの参加を計画しました。
少し出発が遅れたので、到着後の第4ラウンドの中川町(旧トマト銀行前)での喧嘩までだんじりの通過を見ながら待ちます。
寒いので、開場の目の前の酒屋は熱燗を売っていました。
「川若連」「上若連」といった提灯で飾った喧嘩だんじりが練り歩いて行きます。
だんじり(壇尻)のぶつけあう後部
喧嘩の時刻表
9時になっていよいよ喧嘩のはじまり。
どこから人が集まったのかというほど人、人で道路がいっぱいになります。
その真ん中で、二台のだんじりがを後ろ向きに押してぶつけ合うのです。
その真ん中で、二台のだんじりがを後ろ向きに押してぶつけ合うのです。
ぶつかった時に、木と木がぶつかる鈍いドスーンという音が腹まで響きます。
娘さん達は粋なはちまき姿でそれぞれの若連の応援をします。
こりゃあ男達は元気だすわいな。
※勝山喧嘩だんじりの歴史等は、下記のサイトで紹介されています。
http://www.new-maniwa.mls.ad.jp/matsuri/kenka.asp
勝山喧嘩だんじりの由来(勝山町史からの抜粋)
「江戸時代」
明和元年(1764年)三浦明次勝山に入封、次来慶応3年まで(1764~1867)
天保10年(1839年)車楽(最初のだんじりの様なもの)祭礼に差出しの願い。
添付11年(1840年)車楽(最初のだんじりの様なもの)町方屋台、子供芸の差出しの願い。
嘉永7年(1854年)祭礼賑しの為、壇尻(ここで始めてだんじりの名前ができる)差出しの願い。
(山本町、上町、中町、下町)(中川町、南新町)(西町)の3台が出動。
文久3年(1863年)祭礼に付き、壇尻差出しの願い。
(山本町、上町、中町、下町)(中川町、南新町)(西町)の3台が出動。
「明治時代」
明治年代(1868年)だんじりが出動。当時は御輿風の担ぎ(かつぎ)だんじり。
明治後期 現在風の馬車台に屋台を組み込む形になる。
「大正時代」
大正年代 以降だんじり喧嘩が勇壮の盛り上がりをみせ、現在まで伝統を継承し、若連に受け継がれている。
大正後期 元若連、中若連、上若連、西若連、城若連、新若連の6台となる。
「昭和時代」
昭和年代 元若連、中若連、上若連、西若連、城若連、新若連、旦若連、川若連、原若連の9台の喧嘩だんじりと、北若連、郷若連の喧嘩をしないだんじりの現在に形になる。
現在11台
とにかく、この喧嘩だんじりは実際に見るしかない。
※勝山喧嘩だんじりの歴史等は、下記のサイトで紹介されています。
http://www.new-maniwa.mls.ad.jp/matsuri/kenka.asp
勝山喧嘩だんじりの由来(勝山町史からの抜粋)
「江戸時代」
明和元年(1764年)三浦明次勝山に入封、次来慶応3年まで(1764~1867)
天保10年(1839年)車楽(最初のだんじりの様なもの)祭礼に差出しの願い。
添付11年(1840年)車楽(最初のだんじりの様なもの)町方屋台、子供芸の差出しの願い。
嘉永7年(1854年)祭礼賑しの為、壇尻(ここで始めてだんじりの名前ができる)差出しの願い。
(山本町、上町、中町、下町)(中川町、南新町)(西町)の3台が出動。
文久3年(1863年)祭礼に付き、壇尻差出しの願い。
(山本町、上町、中町、下町)(中川町、南新町)(西町)の3台が出動。
「明治時代」
明治年代(1868年)だんじりが出動。当時は御輿風の担ぎ(かつぎ)だんじり。
明治後期 現在風の馬車台に屋台を組み込む形になる。
「大正時代」
大正年代 以降だんじり喧嘩が勇壮の盛り上がりをみせ、現在まで伝統を継承し、若連に受け継がれている。
大正後期 元若連、中若連、上若連、西若連、城若連、新若連の6台となる。
「昭和時代」
昭和年代 元若連、中若連、上若連、西若連、城若連、新若連、旦若連、川若連、原若連の9台の喧嘩だんじりと、北若連、郷若連の喧嘩をしないだんじりの現在に形になる。
現在11台
とにかく、この喧嘩だんじりは実際に見るしかない。
勝山の源流の碑の引き継ぎの時にお世話になった西井さんと一緒に写真を撮りました。
来年は、是非多くの方で見学に行きたいと思います。
事務局のふる里の「喧嘩だんじり」と「さば寿司」は、最高ですよ。
この日は、22時30分に新庄の民宿に入り、それから鍋を作っておいしいお酒を楽しみました。