AR-NET(旭川流域ネットワーク)

2013年01月

2013旭川源流の碑(久米南・北庄)原木調査
 2012年10月1日、次期源流の碑の建立予定地である久米南町北庄で原木候補のヒムロ(モロマツ、ネズミサシ)の調査に行きました。
 久米南町の北庄地区は、日本の棚田百選に選ばれているところで、急な傾斜の中にたくさんの棚田があります。
 その棚田の間に、スキッと1本空に向かって聳えている木がありました。
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 日当たりの良い、回りに競争する木が無いところに生えているのは、わざわざ植えたものだからだそうです。
 ヒムロは、成長が遅く、回りの木にいじめられながら育つので、年輪も緻密で、江戸時代には風呂桶に使われていたと云います。
 唯我独尊のごとく、邪魔されずに伸びた木は、果たして使えるのか?
 目あたりぐらいのところから、かなり枝が分かれ、真上に向かって競争するように伸びています。
 芯の部分がどこまで伸びているか、どのくらいの太さで伸びているのか枝を切らないと分からない状況でした。
 改めて、枝を切って芯の部分がどのくらい使えるかを調査することにしました。
 
 久米南町の世話人の田中さんの案内で、近くにあるため池百選に選ばれている「神之淵池」を見学しました。
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 旭川から遡行すると、誕生寺川そして神谷川(下流部は「片目川」とも言われている。)そして、森国川で神之淵池に至ります。
 更にその上流には、弁天池そして是里池というため池があります。
 今までの源流の碑と違って、棚田に水を供給する棚田をつないで流れる谷川と用水が今年の源流です。
 「神之淵池」の、水は巣堀の隧道で導かれ、東部の神谷川の谷をサイフォンで渡して富家地区まで配水されているそうです。
 このサイフォンは、大正14年に設けられた、備前焼と鋳鉄管で造られているとのこと。
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 池の傍の案内看板には、下記のような記述がありました。
 この池は、大正13年(1924)の大旱魃(かんばつ)を契機として、地域の農民が結束して立ち上がり、昭和3年の完成まで、5年の歳月を費やして築造したため池である。
 要した労役延べ50万人、工費百万円(現在の貨幣価値換算約3億5千万円)底樋(そこひ)48メートル、縦樋(たてひ)19メートル、水深15メートル、貯水量約11万立方メートル。
 灌漑(かんがい)面積約40ヘクタール。
 土木機械というものが全くなかったその時代に、組合員が一丸となり、黙々と毎日10時間の重労働に従った。
 千本突きと杵(きね)突きにより、3センチの鋼土が1センチ以下になるまで突き固め、コンクリート以上の硬度にするという、気の遠くなるような作業の積み重ねによって、高さ22メートル、延長128メートルの堰堤(えんてい)を築き、80年を経た今日に於いても危険を感じる水漏れは全く生じていない。
 正に人間の「汗と脂と精神力」によって成し遂げた偉業を、目のあたりにする思いである。
 後年、岡山県知事萱場軍蔵は、この事業を「人間業の極致」と讃え、昭和天皇は侍従をご差遣(さけん)になってお言葉を賜わった。
 この池の完成により、新しい周囲21ヘクタールが生まれ、地域の農家一戸当たりの耕作面積は倍増し、単位面積当たりの米の生産量と、貯蓄高が県下一と謳われるまでになったのである。
 海抜526メートルの笛吹山(ふえふきやま)より受け、翠を湛えたこの水は、蜘蛛の巣のように張り巡らされた水路と、サイホンと、隧道(ずいどう)を経て、起伏つねならぬ急傾斜地帯の水田の、隅々にまで届けられ、史蹟誕生寺を囲む疏水となり、岡山市に至るまでの灌漑に余慶(よけい)を与え、上水道の水源ともなって、人々の生活と心を潤し続けているのである。
 平成22年5月   久米南町・神之淵池用水組合

2012旭川源流の碑 蒜山塩釜 建立式
 蒜山にブナを植える会に引き渡された16本目となる旭川源流の碑は、11月10日(土)に開催された旭川流域交流シンポジウムの閉会の後、蒜山下福田の「塩釜冷泉」に建立されました。
 シンポジウムを終えて、建立場所に移動し、いよいよ源流の碑の建立です。
 引き渡した源流の碑(主柱)は、副柱に取り付けられていました。
 重機でつりあげて基礎の副柱を立てる穴に取り付けます。
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 ちょっと、寸法が違ったか?穴の幅が広すぎてなかなか入りません。
 ボルトを緩めてどうにか副柱を入れ込みました。
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 穴に砂を埋めて固定し、その上に河原の石を積んで、コンクリートで固めて仕上げます。
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 この作業は、源流の碑の文字を揮毫した八束小学校の児童達も手伝いました。
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イメージ 3イメージ 4イメージ 5イメージ 6 無事源流の碑の立込が終わり、蒜山にブナを植える会の浅原会長とAR-NET事務局の竹原がお清めの清酒を注ぎました。
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 お祝いの挨拶の前に、16本目の旭川源流の碑の全てに行事に参加された御津のみどりと清流を守る会の本田さんと旭川建部ネットワークの田淵信一さんの紹介がありました。
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 お二人には、AR-NET代表世話人の池田さんから感謝状が贈られました。
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 お二人を代表して本田さんがご挨拶をされました。
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 この後、上流域を代表して森谷さんが、中流域を代表して宮内さんが、下流域を代表して中塚さんがお祝いの挨拶をしました、
 蒜山にブナを植える会のメンバーでもある市議会議員の方や、碑を建立する土地を貸して下さった両備経営サポートカンパニーの富田さんからもご挨拶がありました。
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 ご挨拶の後、建立のお礼と今後の活動について、浅原会長からご挨拶があり、無事建立を終えました。
 そして、翌年の17本目となる旭川源流の碑の建立地のである久米南町の世話人である田中さんへ通行手形が引き継がれました。
イメージ 16イメージ 17 建立者のである蒜山にブナを植える会の皆さんがおそろいで写真を撮影し、その後全員で集合写真を撮影して建立式を終えました。
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 皆さん本当にご苦労様でした。
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 「塩釜冷泉」
 大山・隠岐国立公園内蒜山三座の中蒜山(1,122m)の裾の谷間から湧き出る天然水。
 湧水は、東西12m、南北5m、面積約60m2のひょうたん池を形成し、最深部は1.9m、湧水量は毎秒300リットル、珪酸含量34%、水温は年中11度前後。
 昭和60年には日本名水百選(環境省)に認定。
 地元塩釜奉賛会が中心となって管理し、今も変わらず村内の約600世帯の生活用水として受け継がれている。
 但し、源泉については現在は取水禁止。(水汲み場からの取水、お持ち帰りは可能)

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