百間川源流の碑は、5月10日に操山公園里山センターへ運ばれました。
富山公民館で通行手形が館長さんから長塩さんに、寄せ書きが下市さんから内田さんに手渡されました。
集合写真を撮影して、出発。
富山の自然を楽しむ会の吉田さんが道中の説明のため一緒に歩いて下さいました。
公民館から倉安川に出てすぐのところにある笠原家について説明を受けました。
富山地域には、吉備津岡辛木神社と石高神社があり、その氏子の地域がこの笠原家の大黒柱を境に東西に分かれているそうです。
笠原家は新田干拓のときに尽力された地域の有力者だったそうです。
倉安川沿いに歩いて、県道を横断してさらに進むと橋の上に常夜灯(石灯籠)がありました。
そこには、六角形の石碑に六柱の神様の名前が刻まれていました。
そして北側の山裾にある「丸端の井戸」の説明も受けました。
説明板には、「江戸時代後期から昭和29年に上水道ができるまで、出村地区を中心に中村、海吉地区の飲料水として欠かせない水源でした」と書かれていました。
百間川右岸にある倉安川排水機場の手前から北進して峠越えをしました。
そして北側の山裾にある「丸端の井戸」の説明も受けました。
説明板には、「江戸時代後期から昭和29年に上水道ができるまで、出村地区を中心に中村、海吉地区の飲料水として欠かせない水源でした」と書かれていました。
百間川右岸にある倉安川排水機場の手前から北進して峠越えをしました。
この峠は緩やかな坂道で、お墓がたくさんあります。
頂上の木陰で休憩して下ります。
昨年見つけた尾高さんのお墓に立ち寄ってお参りをしました。
百間川の堤防上道路に出て西へ。
途中から堤防下の道路を歩きます。
堤防の法面は今年はオオキンケイギククがたくさん咲いていました。
沢田地区に入って北進し、里山センターに行く道路へ出ました。
新緑の桜並木を歩いて里山センターへ到着。
所長さんに通行手形を引き継ぎ、尾崎さんから展示の記念品がわたされました。
集合写真を撮ってパネルと源流の碑を展示させていただきました。
この日は、里山センターの前の広場で、新緑の中の懇親会を行いました。